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長崎家庭裁判所 平成元年(家)753号 審判 1990年1月26日

申立人 高野元次 外3名

被相続人 阿部喜平

主文

申立人4名の本件各申立てをいずれも却下する。

理由

第1申立ての要旨

申立人4名は、「申立人らに対し、被相続人の相続財産を分与する」との審判を求め、申立ての実情として別紙申立ての実情のとおり述べた。

第2当裁判所の判断

1  本件記録及びこれに関連する当庁昭和63年(家)第393号、第1234号各事件記録を総合すると、次のとおり認められる。

(1)  申立人4名はそれぞれ相続関係図記載のとおり被相続人の亡妻イネの親族である。

(2)  被相続人には法定相続人が存在せず、相続財産管理人として弁護士○○が選任され、相続人捜索の公告をなしたが、その期間満了までに相続権を主張する者の申出はなかった。

(3)  被相続人は、明治31年10月28日東彼杵郡○○村で出生し、昭和13年4月19日菊地イネと婚姻したが子がなく、一度養子縁組したがすぐに協議離縁しており、その後は養子縁組はしていない。妻イネは昭和55年8月22日死亡し、被相続人は昭和63年3月14日死亡している。

(4)  被相続人は、戦前台湾で船長をしていたが帰国し、昭和20年8月9日長崎で被爆して妻イネともどもその実家へ帰住し、その後申立人高野元次の母高野ヨリ方に同居した。健康回復後被相続人は高野ヨリ方の扱う酒の行商や漁業を、妻イネは高野ヨリ方の店の手伝をしていた。

被相続人夫婦は昭和36年○○市に転居し旅館業を始めたが、この業務は被相続人の妻イネが従業員も雇わずに行っていた。

被相続人は妻イネの死亡後旅館業のかたわら指圧業を営み独居生活をしていた。申立人らがたまに立寄ることはあったようだが、被相続人の身体的衰えが見えるようになってからは、福祉事務所が家庭奉仕員の派遣をしたり、民生委員や近隣の住人が手助けするなどして世話をしていた。しかし、被相続人の身体的衰弱が甚だしくなったため、民生委員を介して福祉事務所が、昭和63年2月20日被相続人を老人福祉施設「○○」に緊急入所させた。その後申立人らがこの事実を知り、昭和63年3月1日被相続人を○○町所在の老人ホーム「○×荘」に転所させたが、同人ほ、同月14日同所で死亡した。被相続人の遺産は、別紙財産目録(編略)記載のとおりである。

(5)  申立人4名は、調査官に対し特別縁故の事情として、それぞれ次のとおり述べている。

まず、申立人高野元次は、被相続人とは昭和20年8月中旬から昭和23年まで実家で同居したこと、被相続人が昭和36年○○市へ転居するにあたって、当面の生活費として10万円、餞別として7万ないし8万円を贈ったこと、さらに、その後は同申立人の娘らが夏休みに遊びに行ったにとがあること、被相続人の妻の入院時には同申立人の妻らが看病や家の掃除を交替で手伝ったことがあること、被相続人が「○○」に入所後警察からの連絡を受けて出向き、老人ホーム転所の手続をしたこと、被相続人の死後親族だけの葬儀を行い遺骨は49日まで火葬場に預かってもらい、その後被相続人方の墓地に納骨し、百日忌、一周忌の法要を行ったとしている。

申立人高野文三は、幼時約10年間被相続人夫妻と同申立人方で同居し被相続人夫妻に可愛がられていたこと、同申立人の父が被相続人の○○市への転居に当たって10万か20万円かの金を渡していると聞いていること、小学生時代学校の休みの時には○○市の被相続人方へ遊びに行ったことがあること、社会人になってからは月1回くらい立寄ったことがあるとしている。

申立人大森康彦は、被相続人が○○市へ転居する際同申立人の養父が祝金をいくらか出したと聞いていること、その後はたまに訪問するくらいの関係であったが、被相続人が病気で例れた時とか死亡した時菊地仁郎夫婦を車に同乗させて行ったことがあるとしている。

申立人菊地仁郎は、被相続人が被爆した際親戚の医者へ連れて行ったことがあること、被相続人が魚の行商をしたり、網漁をする時資金貸与を依頼されて貸してやったことがあること、被相続人の妻の死亡直前3日間付添看病をしたことがあること、その後昭和61年くらいまでたまに婦除などしてやったこと、被相続人が「○○」へ入所後見舞ったり、被相続人の葬儀法要等を他の申立人3名と共に行ったとしている。

(6)  被相続人自身の親戚である増木辰男、民生委員、近隣の居住者、福祉事務所、老人ホーム、警察署に対する照会の回答によれば、申立人らと被相続人とが親密な関係にあったとの資料は全く得られず、むしろ被相続人はその酒癖と性格から親戚関係の者から一定の距離をおいた付き合い方をされ、いわゆる「独居老人」として孤独な生活をしていたものと認められる。

(7)  申立人ら代理人提出の連絡書添付明細書によると、申立人らは被相続人の老人ホームへの入居から死後の措置などを行うための費用として申立人高野元次は52万5000円、同高野文三は40万円を各立替えていることが認められる。申立人らはその他被相続人の遺産18万8013円を合わせて事務処理費(ジュース代、食事代も含まれている)に当てている。

2  ところで、民法958条の3に規定する特別縁故者とは「被相続人と生計を同じくしていた者」「被相続人の療養看護に努めた者」「その他被相続人と特別の縁故があった者」とされているが、「その他被相続人と特別の縁故があった」とは、「同法条の文言の趣旨からみて、同法条に例示する2つの場合に該当する者に準ずる程度に被相続人との間に具体的且つ現実的な精神的・物質的に密接な交渉のあった者で、相続財産をその者に分与することが被相続人の意思に合致するであろうとみられる程度に特別の関係があった者をいうものと解するのが相当である」(大阪高決昭和46年5月18日)と解される。

これを本件に当てはめてみると、上記認定の事実によれば申立人4名はいずれも被相続人と「生計を同じくしていた者」ではなく、被相続人の死の直前老人ホーム転所手続等を行ったにすぎないものであるから、「療養看護に努めた者」にも該当しないことは明らかである。「その他の特別の縁故関係」の有無についてみるに、申立人4名はいずれも被相続人の亡妻イネの親族であって同女の死亡後被相続人と親密な交際があったとは認められず、むしろ疎遠になっていたことが認められ、また、申立人4名が被相続人との関係として述べる事情はいずれも親族としての通常の交際の範囲にとどまるものにすぎない。ただ申立人らの行った被相続人の死の直前から死後に亘る一連の措置については、かなり密接な交渉があったことが認められるが、これらの事実のみをもって、「特別縁故」に該当するとはいえない。ちなみに、申立人らが立替えた費用(但し同人らの飲食代は除くべきである)は、相続財産管理人において精算すべきものである。

そうすると、申立人4名と被相続人との生前から死後に亘る関係は、民法958条の3に規定する要件のいずれにも該当せず、申立人4名は、財産分与を受けうる特別縁故者に当たるとはいえない。

第3結論

よって、申立人4名の本件申立てはいずれも却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 小田八重子)

(別紙)

申立の実情

1、申立人らはいずれも被相続人亡阿部喜平(以下「被相続人」という)の妻である申立外亡阿部イネ(昭和55年8月22日死亡、以下「亡イネ」という)の親族であり、その関係は、別紙被相続人の相続関係図(編略)記載のとおりである。すなわち、申立人高野元次は、亡イネの長姉である高野ヨリの三男、同高野文三は高野ヨリの長男高野博の長男、同菊地仁郎は亡イネの兄菊地徹三の長男及び同大森康彦は同人の三男(昭和15年9月12日、亡イネの妹である大森トキ、忠次夫妻と養子縁組をしている)にあたる者である。

2、被相続人には法定相続人となるべき親族が存在しなかったため、申立人高野元次は、昭和63年4月4日、貴庁に対し相続財産管理人の選任を申し立てた(貴庁昭和63年(家)第393号)。その後、被相続人の相続財産管理人が選任され、貴庁は相続財産管理人の申立によって昭和63年10月31日相続権主張の催告公告をし、平成元年5月10日の期間が満了したが権利の申し出はなかった。

3、申立人らと被相続人との間には、被相続人の生前、死後を通じて、以下のとおりの特別な縁故関係が存在した。

(1) 被相続人と亡イネは、昭和20年8月9日、長崎で原子爆弾に被爆したため、長崎県西彼杵郡○○村○○郷の亡イネの実家である菊地徹三の家で約2ヶ月間療養した後、同郡○○村○△の亡イネの姉であり申立人高野文三の父である高野博の家に昭和36年まで同居していた。上記療養にあたっては、申立人菊地仁郎が通院の付添をしており、また高野博の家に被相続人らがいた間は同人が被相続人らの生活の面倒をみていた。

(2) 昭和36年に被相続人は○○に別紙財産目録記載の土地、建物を求めたが、その際申立人らは被相続人に資金援助をした。

(3) 被相続人は上記建物で昭和38年頃から旅館業をしていたが、申立人らは、昭和44年頃、亡イネが神経痛などのために約1年間にわたって手足が不自由となった際、交代で亡イネの看病や亡イネ及び被相続人の世話、旅館業の手伝いなどをした。

(4) 亡イネは昭和55年8月に亡くなったが、その頃には被相続人は老衰のために身の回りのことがほとんどできない状態だったため、申立人らは被相続人の身辺の世話や亡イネの葬儀、その後の法要等を全て行なってきた。

(5) 上記のとおり、亡イネが亡くなった後、昭和62年春頃までは申立人らが交代で週に1回位被相続人の家に同人の様子を見に行き、 身の回りの世話や旅館業の手伝いをしていた。同年5月頃から半年位は○○市派遣のホームヘルパーが被相続人の面倒をみていたが、そのヘルパーがやめた後は前同様申立人らが交代で被相続人の身の回りの世話をしていた。

(6) 被相続人は、昭和63年1月頃より老衰がひどくなったため、申立人らが○○町の老人ホームへの入所を勧めていたが、被相続人はこれを断わり続けていた。しかしながら、同年2月中旬頃から被相続人は老衰に加えて軽い痴呆症も併発し失禁状態が続いたため、申立人らが手続きを取って○○市内の特別養護老人ホーム「○○」に入所させた。しかし、同所から被相続人を引き取るようにとの申し出があったため、申立人らは同年3月1日、被相続人を○○町立病院に併設されている特別養護老人ホーム「○×荘」へ入所させた。

上記各老人ホーム入所中は、申立人らが、毎日のように被相続人を見舞い、看護を続けた。また、上記老人ホームの入所のための費用なども申立人らがその一切を負担している。

(7) 被相続人は、昭和63年3月14日、上記「○×荘」において死亡したが、死亡後の葬儀、埋葬、法要等も全て申立人らが手配し、その費用を拠出して執り行なってきている。

また、今後の被相続人の法要についても、申立人らで執り行なっていく心積もりである。

4、被相続人には別紙財産目録記載のとおりの相続財産が存在している。前記のとおり被相続人には法定相続人が存在しないため、上記相続財産はこのままでは全て国庫に帰属することになるが、上記のとおり申立人らは被相続人と特別の縁故関係にある者であるから、申立人らに上記相続財産の分与を求めるべく本申立に及ぶ次第である。

以上

〔参考〕抗告審(福岡高 平2(ラ)23号 平2.3.26決定)

主文

本件各抗告をいずれも棄却する。

抗告費用は抗告人らの負担とする。

理由

一 本件抗告の趣旨及び理由は別紙記載のとおりである。

二 当裁判所も、抗告人らの特別縁故者への相続財産の分与申立は同人らが特別縁故者に当たらないからいずれも却下すべきものと判断するものであつて、その理由は、次のとおり付加するほか、原審判の理由説示と同一であるから、これを引用する。

まず、抗告人らは、被相続人阿部喜平が昭和36年ころ長崎県○○市に転居した際、同人や同人の妻阿部イネに対し生活費、餞別等として金30万円以上の資金援助をした旨を主張するが、右資金援助の可能性を否定することはできないものの、右資金援助がなされたことを裏付ける的確な資料もなく、仮に右資金援助がなされたとしても、その内容、時期からみて、これによつて直ちに抗告人らに特別縁故関係を認めることもできないから、右主張を採用することはできない。

次に、抗告人らは、被相続人の妻阿部イネの身体が不自由になつた昭和44年以降、特に同人が死亡した昭和55年8月以降は、交互に被相続人宅を訪れ、同人の身の回りの世話、旅館業の手伝を行い、同人が老人ホームに入所した後は毎日のように見舞に行つていた旨を主張し、本件記録によれば、確かに被相続人が昭和63年2月20日老人福祉施設「○○」に入所して同年3月14日老人ホーム「○×荘」で死亡するまでの間、抗告人らが被相続人の入所していた老人福祉施設、老人ホームに同人を見舞うため、こもごも訪れていたことは認められるが、右見舞の経緯、1か月足らずの期間であることなどを考えると、これによつて直ちに抗告人らに特別縁故関係を認めることはできないし、その余の事実についてはこれを裏付けるに足りる資料もないから、右主張も採用することができない。

また、抗告人らは、被相続人が抗告人らに対し死亡後の財産の処理を頼み、遺産を抗告人らに残すことを明らかにしていた旨を主張するが、右主張は、これを窺う格別の資料もないから、採用することができない。

さらに、抗告人らは、今後被相続人及びその妻イネの祭祀回向を続けていく意向を明らかにしているが、本件事情の下においては、これによつて抗告人らに特別縁故関係を認めることができないことも明らかである。

三 よつて、原審判は相当であつて、本件各抗告はいずれも理由がないから棄却し、抗告費用は抗告人らに負担させることとして、主文のとおり決定する。

(原文は縦書き)

(別紙) 抗告の趣旨

原審判を取り消し、本件を長崎家庭裁判所に差戻すとの裁判を求めます。

抗告の実情

一 抗告人らと被相続人阿部喜平(以下「被相続人」という)との関係は、原審判添付相続関係図記載のとおりであり、被相続人に法定相続人が存在せず、抗告人らに特別縁故関係があるという理由で、平成元年7月25日、被相続人の相続財産につき、民法958条の3に基づき長崎家庭裁判所に対し特別縁故者への相続財産分与の申立をなしていたところ、同裁判所により、平成2年1月26日、「申立人4名の本件各申立てをいずれも却下する」旨の審判(以下「原審判」という)が下された。

二 原審判は以下の事情から抗告人らと被相続人らとの間には特別な縁故関係はないとしている。

すなわち、「申立人ら4名はいずれも相続人と『生計を同じくしていた者』ではなく、被相続人の死の直前老人ホーム転所手続を行つたにすぎないものであるから、『療養看護に努めた者』にも該当しないことは明らかである。『その他の特別の縁故関係』の有無についてみるに、申立人4名はいずれも被相続人の亡妻イネの親族であつて同女の死亡後被相続人と親密な交際があつたとは認められず、むしろ疎遠になつていたことが認められ、また、申立人4名が被相続人との関係として述べる事情はいずれも親族としての通常の交際の範囲にとどまるものにすぎない。ただ、申立人らの行つた被相続人の死の直前から死後に亘る一連の措置については、かなり密接な交渉があつたことが認められるが、これらの事実のみをもつて、『特別縁故』に該当するとはいえない。」としている。

三 原審判が指摘するように、確かに、抗告人らは、昭和36年頃に被相続人が○○へ転居した後は「生計を同じくし」てはいなかつたかもしれないが、それ以前、昭和20年8月から同36年頃までの16年間は抗告人高野文三宅に同居していたのであり、また、抗告人らは、被相続人が○○へ転居する際に、同人及び同人の妻である亡阿部イネ(以下「亡イネ」という)のために当面の生活費、餞別等として30万円ないしはそれ以上の(現在の貨幣価値でいえば300万円以上に相当するものと思われる)の資金援助をなしているのである。以上のことから直ちに民法958条の3に規定する「生計を同じくしていた者」にあてはまらないにしても、上記諸事情は同条のいう「その他の特別の縁故関係」を考えるにあたつて斟酌して然るべきである。

四 また、抗告人らは、昭和44年、亡イネの身体が一時的に不自由になつた際に、同人の看病、あるいは被相続人の世話、さらには被相続人が営んでいた旅館業の手伝いを、抗告人らが交互に可能な限り行つていたのである。また、昭和55年8月、亡イネの死亡に際しても、当時身体が不自由であつた被相続人にかわり亡イネの葬儀からその後の法要まで抗告人らが行つたのである。さらに、亡イネの死亡後は、抗告人らが交互に被相続人宅を訪れ、身の回りの世話、旅館業の手伝いをなし、被相続人宅を訪れないときは週に2、3回の電話によるやりとりによつて被相続人の安否を確認していたのである。被相続人が、昭和62年2月に○○に存する老人ホーム「○○」に入居後も同人を見舞い、また、○○町に存する「○×荘」に転所した後は、抗告人らは毎日のように同人を見舞つていた。結果的には、被相続人が「○×荘」にいた期間は、同人が同所に転所後まもなく死亡したため短かつたが、抗告人らは被相続人が同所に転所後、終生にわたり療養看護にあたるつもりであつたのである。これらのことから、抗告人らは民法958条の3に規定する「療養看護に努めた者」にあてはまるものと考えられる。仮に「療養看護に努めた者」と認められないにしても、上記諸事情は同条のいう「その他の特別の縁故関係」を考えるにあたつて斟酌して然るべきである。

五 さらに、被相続人は○○の老人ホーム「○○」に入居中に、抗告人らに対し、被相続人に何かあつた場合には後の処理を宜しく頼むと申し出ており、またその場合は同人に相続人が存在しないため、同人の遺産を抗告人らに残す旨を伝えているのである。ちなみに、この際には、上記「○○」の療母長も同席していたのである。したがつて、被相続人には、被相続人の相続財産を抗告人らに分与する意思があつたものと思われる。

六 また、抗告人らは、被相続人の死亡後は葬儀、納骨、法要等遺族同様の世話を行い、今後においても、被相続人ばかりでなく、亡イネの祭祀回向を怠らぬ意向を示しているのである。

七 以上のことから、仮に、抗告人らが民法958条の3に例示する「生計を同じくした者」、「療養看護に努めた者」にはあてはまらないにしても、「その他相続人と特別の縁故があつた者」という範疇には十分包含されるものと思われる。

八 以上のとおり、抗告人らと被相続人との間には「特別の縁故関係」が存在するのにもかかわらず、原審判は、「親戚関係の者から一定の距離をおいた付き合い方をされ、いわゆる『独居老人』として孤独な生活をしていたもの」と認定している。しかしながら、抗告人らと被相続人との関係は前記のとおりであつて、仮に、これら抗告人らと被相続人との関係が、原審判が認定するように「一定の距離をおいた付き合い方」とみられたとしたならば、それは、抗告人らが居住する西彼杵郡○○町、あるいは同郡○△町と、被相続人が居住する○○市との間が離れていたがためであり、物理的に離れている以上、現実に「一定の距離をおいた付き合い方」しかできなかつたためである。抗告人らは被相続人に対し、抗告人らが居住する○○町へ転居することを勧め、一旦は被相続人もこの申出を受け入れたのであるが、長年住み慣れた○○を離れ難いとの理由から延び延びになつていたものである。上記のように、物理的に両者が離れていたからといつて、抗告人らに被相続人との精神的・物質的に密接な交渉をする意思がなくなつたものではなく、むしろ被相続人にとつては抗告人らが親族としての精神的な支えとなつていたことがうかがわれるのである。

九 よつて、抗告の趣旨記載のとおりの裁判を求めるために、本申立をなす次第です。

以上

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